プログラミング界隈でも良書って言われているものが色々あるんだけど、今後生成系AIなんかによるプログラミングってのが普及するとこういう本はどうなるんだろうねって話。
もちろん、時代によって良書の勝ちというか位置づけってのは変わってくるので、ほんとうの意味で価値の変わらない本ってのはあまりないとは思う。例えば、K&Rの『プログラミング言語C』とか、今の時代に読んでるかって言われると、よほどの好事家以外には多分読まれていないと思う。逆に、『リーダブルコード』のように言語に依存しない内容の本は、今でも読まれている気がする。
じゃぁ、翻って、今後生成系AIがプログラミングの主流となったときに、こういった書籍は読みつがれていくのか。これは今後のプログラミング環境がどうなっていくかによって大きく変わっていくのだろうなと思う。
今後は、人間はプログラミングなんかしません、プログラミングは生成系AIがやります、人間は指示だけしてくださいみたいな世界だと、プログラミングというか、システム開発系の本は生き残るような気がする。プロジェクト管理系の本はどうだろう。その手法がどの程度通用するかにもよるのかな。
逆に、言語に特化したような良書は読まれなくなっていくんだろうなって気がする。たぶん、これからの時代は言語に対して何かこだわりがあるということ自体が、今後は奇異に思われる時代になるのかもしれない(いや、もうそうかも?)。
LinuxとかOS系のやつはどうだろう。個人的には生成系AIによるプログラミング、システムはDockerみたいなコンテナ式の基盤+システム間のインタフェースを定義したマイクロサービス化していくような気がするので、そのあたりの本も、今後は怪しくなっていく気がするな。
あとは、今後全く新しいパラダイム、言語、システムみたいなものは一般に普及する速度が著しく低下すると思うので、そういった意味でも、先細りしていくのかもしれない。
これに似たような話は今でも少し聞いていて、今だとWeb系のフロントエンドをやるプログラマは多いけど、OSやミドルウェアのオープンソースをやろうとするプログラマはほとんどいないみたいな話で。需要と供給によるエコシステムが、一部のインフラへのフリーライドの上に成り立っていますよね、みたいなところと通じるのかもしれない。
年寄り的な話だけど、今だとクラウド環境が当たり前になりすぎていて、今の若い世代の人達はハードウェアをちゃんと見たことがないとか、OS周り触ったことないとか、そういった世界になっているらしい。
まぁ、僕たちも「パケットを直接やり取りするプログラムを書いたことがない」「機械語やアセンブリ言語を読み書きできない」などと、散々言われてきたので、時代というのはそういう風に進んで行くもんなんだろうな。そう考えると、早々悲観するものでもなくて、新しい時代には新しい時代の良書が生まれて、一部は読みつがれて、一部は記念碑的に残っていくんだろう。
せめて、その「良書」が出たときには、否定せずに読んでみるくらいの柔軟さが将来の自分に残っているといいなって思う。