NFTってよくわからないけど、要するに図書室の貸出カードみたいなもの?って話

考えたこと

最近メタバースがどうのって話のなかで、NFTがセットで語られることが多いんだけど正直良くわからないんだよね。どう考えてもメタバースに直接関係しそうもないし、VRなんかとも関係なさそう。で、なに?ってなると「非代替性トークン」とか「ブロックチェーン」とか色々出てくる。で、活用事例として「デジタルアート」とか。メタバースどこ行った?みたいな。

で、色々見ていて、NFTってのは要するに学校の図書室の本の裏についていた貸出カード何じゃないかって話に思い至ったので、その話を書いてみるという記事。

NFTと貸出カード

そもそも貸出カードって何?

学校の図書室にはいろんな本が置いてあって、図書室内で読むのは自由だけど、貸し出して持って帰ったりする場合にはその本の裏に貸出カードなるものがついている。で、貸出カードはは図書委員に貸し出し処理を頼むと自分のクラスと名前と貸し出し日を記入して図書室で管理。本を返すときは、保管していた貸出カードに返却日を記入して本の裏に戻して、図書室の本棚に戻す。こういうことを繰り返すと、その本がいつ、誰が借りたのかって履歴が貸出カードに残って便利って仕組み。

NFTと貸し出しカートの類似点

じゃぁ、この貸出カードがNFTとどう似ているのかって話だけど。

NFT(貸出カード)とはデジタルデータ(図書館の本)の唯一性を確認するものである。同じデジタルデータ(図書館の本)が複数があったとしても、固有のデジタルデータ(図書館の本)それぞれに別のNFT(貸出カード)が存在する。

NFT(貸出カード)はデジタルデータ(図書館の本)の所有権(貸し出し履歴)を追跡することができる。これにより、いつ誰が初めてデジタルデータを所有(貸し出し)したか、その後どんな人たちの手を渡ってきたがを確認することができる。

NFT(貸出カード)はデジタルデータ(図書館の本)の所有権(貸し出し履歴)を確認するが、デジタルデータ(図書館の本)が世界に1つだけあることは保証しない。世界には複数の同一のデジタルデータ(図書館の本)が存在し、それぞれにNFT(貸出カード)が独立して存在し、またNFT(貸出カード)が存在ない同一のデジタルデータ(図書館の本)も存在する(例えば本屋に行けば同じ本を手に入れることは可能)。

また、所有権(貸し出し履歴)は、そのデジタルデータ(図書館の本)の所有の排他性を保証するものではない。デジタルデータ(図書館の本)にNFT(貸出カード)がついていてもデジタルデータ(図書館の本)を利用することはできるし、コピーを取ることも削除することもできる。

NFT(貸出カード)単体ではなんの意味もなさず、デジタルデータ(図書館の本)の利用する際にもなんの意味もなさない。

NFT一体何が嬉しいの?

さて、じゃぁこのNFT(貸出カード)ってのが意味・価値を持つシチュエーションってのはどういうときだろうというと多分この2つなんじゃないかな。

  • デジタルデータ(図書館の本)のNFT(貸出カード)に著名人の名前が乗っている場合
  • デジタルデータ(図書館の本)の所有権(貸し出し履歴)で揉めた場合の証明をする場合

いちいち括弧つけるの面倒になったので、どんどん略していく。

デジタルデータのNFTに著名人の名前が乗っている場合

まぁ、有名人が持っていたデジタルデータってのになんの意味があるかわからないけど、まぁ「好きな人が持っていたもの」ってのはマニアにとっては嬉しいのかもしれない。普通の人には同一のデジタルデータはどこにでも転がっているし、NFT付いてようと付いてなかろうと知ったことではないので、そのくらいの価値しかない。

デジタルデータの所有権(貸し出し履歴)で揉めた場合の証明をする場合

これがメタバースの土地がおいくら万円で売れましたみたいな話になるんだろうけど、そもそもデジタルデータの所有権を争うような事例というのは微妙感がある。

著作物であれば別途著作権、デジタルデータであれば知的財産権があるけど別にNFTはその譲渡まで保証しない。メタバースの土地にしたって、そもそも該当のメタバースのプラットフォーマーが管理して、その中で所有者を確認しているのだからNFTがどうのってのはおかしな話。

例えば、あるメタバースの土地をそのプラットフォーム内で購入しました。しばらくして別のユーザが「その土地の真の所有者は俺だ!その土地のNFTの最新所有者は俺だからだ!」って出てきたとして、「いやいや、自分はプラットフォーマーからデジタルデータを買ったわけですし、その履歴はプラットフォーマーが保証してますよ。逆にプラットフォーマーが保証してないなら、プラットフォーマーは何を売ったんですか?」って話になるわけで。

例えば、デジタルアートを購入したとしても話は同じで。まっとうなプラットフォーマーなら自分たちの管理外のところで自分たちが管理しているはずのデジタルデータを売買されるとかありえんでしょみたいな。デジタルアートなら、NFT抜きにすれば同じデジタルデータは世界中に転がっているわけで。

どっかで「ゲーム内のアイテムをNFT化すればゲーム外の市場でも価値を持つようになります」とかって謎の話があるけど、あるわけ無いでしょ。

別にNFTはデジタルデータの所有権の保証はしないので、ゲームシステム内の所有権とは全く別の話だし、その外の世界のNFTをゲーム内部に持ち込むポータビリティを保証しているわけでもない。ゲーム内のすべてのアイテムを内部的にNFTで管理するってゲームが存在しないことはないと思うけど、ゲームのプラットフォーマーがそれを外部に公開するかどうかはまた全然別の話だと思うんよね。

まぁ、そもそもゲーム内のアイテムはゲーム外に持ち出せないってのが本当に最終型なのかってのは疑念の余地はあるけど、少なくともゲームを開発、運営するプラットフォーマー的に、それをするメリットは当面生まれそうにないと思う。

終わりに

この記事の目的は「NFTってのは要するに学校の図書室の本の裏についていた貸出カードじゃないか」って話なので、NFTの細かい話(例えばNFTがもつ運用に関する問題とか。最後にリンクを付けている NFTアートには手を出すな!とか見ると面白い )には触れるつもりはないんだけど、それでも「じゃぁ、今起こっているのは何なの?バブルなの?」って話は、今の自分の見解を未来の自分に伝えるために書き残しておく。

はっきり言えば、ただのバブル。具体的なものや実効を伴わないラベルがありがたがられているような感じ。

これと似たようなもので電子化された株券とか、サブプライム問題でキーになった証券化された住宅ローン債権が金融商品として市場で取引されたみたいなものがある気がする。でも、これらは、それぞれは何らかの権利を表すものであり、その実効を担保するものだったから意味があるわけで、なんの実効もないNFTと比べるのは流石に無理筋なんじゃなかろうか。

ある意味、チューリップの球根どころか、チューリップの球根の写真に価値があると言い張るような空虚さを感じてしまう。そりゃ一部の好事家はいるんだろうけどさ。

とは言っても、活用できない場面がないわけではなく、例えばライブなんかの観戦チケットとかがNFT化されるとかはあるかもしれない。この場合はむしろ、転売されていないことを示すために活用できるんじゃなかろうか。

つまり、チケットの購入時に発行元と購入者の情報を付与されたNFTをチケットと紐付けておきと、入場時に不正にコピーされたチケットではないこと、今まさに入場しようとしている人が一致していることを証明できるかもしれない。まぁ、どうやってNFTの所有者を識別するのかは今後の課題だとは思うけど。

さて、ここまでNFTについて書いてみたけど、一年後もしくは数年後に見返したときにどう見えるんだろう。お、当たってたなって思うのか、完全に外してますやんってなるのか。

まぁ、どちらに転んでも別に痛くも痒くもないわけで。世の中が平和になればいいな、みんな幸せになればいいなって思います、しらんけど。

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