先日、日本語と英語の違いと、日本語に囚われすぎることで英語が話せなくなるという話を聞いた。逆に言えば、日本語と英語の違いをちゃんと意識することで、英語がスムーズに話せるようになるよね的な話。
例えで出てきたのは「新幹線は大雪のため3時間遅れです」、これを英語で言おうとして、日本語の語順で考えるとうまくいかないが、例えば「新幹線は遅れます。3時間、大雪のため」みたいな語順で考えればスムーズに英語で話せるようになるよね。全部一息で言えなくても、「新幹線は遅れます」とだけでも言えばいい。もし相手が興味を持てば「何時間くらい?」とか「なんで?」とか聞いてくるだろうから、そのときに説明すれば良い。みたいな話。なるほどね、確かに全部最初から話す必要はないよねって思った。
っという話は、これからの話とはあまり関係がなくて。関係がないので、上記の話はこれで終わり。こっからの話は、なにか調べたわけでもない、ただ頭にぼんやり浮かんだイメージの話。
冒頭の話を聞いた時に出てきた日本語と英語の違いはこんな感じ。
- 主語のあり、なし
- 結論を後で言うか先に言うか
- 姓と名前、どちらが先か。などなど
この話を聞いていたとき、ぼんやりイメージしたのが「森の中、二人の猟師が獲物を追いかけながら話している英語」と「畑仕事をしながら周りのみんなに呼びかけている日本語」という2つのイメージ。要するに、この違いは言語を話すとき誰に話しかけるのかの違いではないかと思った。
例えば、英語は一緒に行動している目の前の特定の人に語りかける。ので、話している相手が一人で、目の前にいて、お互いに話をする or していることが前提にあるんじゃないかな。なので、どちらが何をやるかをはっきり言う必要がある。話を始める合図がいらないので結論から先にくる。相手の名前が先に来る。
対して日本語は、周りの人に呼びかける。つまり、話をしようとしている人は一人とは限らず、また自分の話を聞いているか、聞く準備をしているとは限らない。ので、話をする際には、まず相手(単数の場合も、複数の場合も)のアテンションを引くことが大切になる。だから誰がとかは後回し、まずは聞く準備をしてほしい。話を聞く準備ができていないかもしれないので結論はあとから、名前をいきなり呼ぶよりは大きな括りで呼びかけて意識を向けてもらう。みたいな。
日本語の方をちょっとイメージすると、村人たちが畑で作業をしている。Aさんが話し始めようとするが、みんなは作業中。ので、はじめは「雲が出てきたなぁ」と大きな声を出す。そうすると、みんながAさんの方をちらっと見る。続けてAさんは「雨が降りそうな天気だ」という。そうするとようやくみんなが注意を向け始める。そしてAさんは「そろそろ止めっペか」という。みたいな。
これを英語みたいに、「我々は作業をやめよう」、「雨が降りそうな天気だ」、「なぜなら雲が出てきたから」みたいな話し方をされると、話を聞く準備ができていないみんなは前半を聞きそびれて「なぜなら雲が出てきたから」だけ聞いて、???ってなりそう。
逆に獲物を追いかけている最中に、ぼんやりと「雲が出てきたなぁ」とか言われてもこまる。「え?なに?なにかあったの?」みたいに。であれば「我々は作業をやめよう」と始めに言ったほうが、迅速な行動ができる。理由はあとから説明すればいいけど、今何をすべきかを速やかに共有する。みたいな。
日本語が姓を先に言うのも、周りのアテンションをまず集めるためではないかな。まずは、「山田さん」と呼びかける。そうすると複数いるだろう「山田さん」のアテンションを集めることができる。その後、「太郎さん」と呼ぶことで限定する。これが逆に「太郎、山田」だと、最初の「太郎」を聞きそびれると、複数いるだろう山田さんは困ってしまう。「山田ですけどなにか?」みたいな。
逆に、お互いにお互いに注意を向けている英語の場合は、はじめっから「太郎」と呼べばいい。話をしている相手とは認識が共有されている。その後、もし複数の太郎がいるのであれば「太郎、ああ山田さんのところのね」という感じで補足する。
ということをぼんやり考えていた。しらんけど。