プログラミングの学習と写経について思うこと

技術関係
技術関係考えたこと

なんかたまに話題になるプログラミングの学習に写経は効果があるのかという話。ここで言う社協っていうのは、単にコピペするとかではなく、既存のソースコードなりを、自分の手で打ち直して実行するってもの。

で、だいたいによると、写経なんて意味がないという話と、いや社協には意味があるみたいな話があって、毎回侃々諤々するのが通例なイメージ。

そもそも、なんの前提条件も整理せず、有効無効の定義もせず、実際になにか検証するわけでもない議論になんの意味があるのかという向きもあるが、まぁ、それぞれの人の過去を思い起こすくらいには何等か有効なんじゃないかなと思う。

長々と書くわけではないのだけど、自分の考えを少しだけ。そもそも論として、写経せずにプログラミングが切るようになった人はいないんじゃないかなと言うのが一つ。

野生の本能でキーボードを叩いていたらいつの間にかプログラムが完成していたみたいな人以外は、大体は入門書やドキュメント、チュートリアル何かを辿っていくことで、言語習得していく過程は誰もが体験していると思う。それ以外にも、ちょっとしたプログラミングのTipsやベストプラクティスみたいなものを見かけたり、サンプルコードを動かしたりってのは日常的にやっている。

もちろん、それをコピペで済ます人はいると思うけど、そこはそもそも写経のうちに入らないとする。っていうか、そういうふうにコピペで済ませている人たちって、ちょっと見てたらわかったりするんよね。なんかキーボードの運指が怪しかったり、ミスタイプが多かったり、ちょっとした修正やコードをキーボードでタイプするのではなくコピペで済まそうとしたり。

この辺のコピペに意味がない論って、写経で育った人と、コピペで済ませた人の差なんじゃないかと、若干うがった見方をしてしまう。

ここらへんに近い話として、暗記教育は良くないとか、詰め込み教育は良くないとか、自由な発想がとか興味自主性を活かした学習みたいな話があるなぁっとぼんやり思っていて。じゃぁ、俺達はどうやってひらがな・カタカナ、漢字を覚えたのか。九九をどうやって覚えたのかっていうのを完全に忘却している意見なんだよなぁ。

世の中には、特にその基礎、ベースとなるような知識は丸暗記するくらいの事が必要だし、それを忌避しては行けない。そして重要なことは、学習している当事者はその価値を計ることは全くできないということ。小学校の時、文字の重要性、算数の重要性を自主的に気がついて勉強した人がどのくらいいるのかって話ですよ。

まぁ、いいおとなになっても学校の勉強は役に立たないとか言っちゃう人もいるので、まぁそれはちゃんと勉強してないからじゃないですかね?みたいな気持ちにならないことはない気がしないでもない。

「コツを教えて下さい」「基礎なんてそんな誰でもわかってるものじゃなくて」…うるせえ黙れ基礎がわかってねえから困ってんだろ
癖で動いてるんですよ、アナタ。要は基礎がなってない _(:3 」∠ )_
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