異類婚姻譚におけるテーマの変化について考える話

考えたこと
考えたこと

異類婚姻譚というのがある。要するに人とそれ以外が婚姻するという話で、例えば雪女や鶴の恩返しなどの昔話、または安倍晴明の親が人と狐だったというような歴史上の人物の来歴に添えられていたりする。婚姻対象も哺乳類から鳥類、爬虫類、両生類、魚類まで様々。動物だけじゃなくて、無生物や幽霊と結婚するという話もあるし、神や龍、鬼などの超常の存在との結婚という場合もある。ある種、人身御供みたいなものも同じ文脈だし、八犬伝の伏姫とかもそう。そういう意味では人類全般で持っている観念というかテーマっぽい話なんだと思う。

異類婚姻譚(いるいこんいんたん)とは、違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。世界的に分布し、日本においても多く見られる説話類型である。なお、神婚と異類(神以外)婚姻とに分離できるとする見方や、逆に異常誕生譚をも広く同類型としてとらえる考え方もある。

概要

婚姻の相手としては、妖精精霊など信仰対象となる存在の他、キツネなど動物が相手となる話も多い。

ギリシア神話ゼウスが乙女の元に白鳥や水滴と化して訪れる話や、貴族の祖先が神や動物との間の子という物語が各地にあるが、これらは古代の族外婚による信仰、生活様式の違いに起源を求める説がある。子孫が残る伝承のものには、子孫にとって都合の良いもの(統治の根拠とする始祖伝説等)が多い。例として日本の天人女房(天女)系羽衣伝説や、中国の王朝始祖、満洲民族ブクリ・ヨンション中国語版)の伝説等が挙げられる。

多胎児は、人が動物のように多産となることから、先のゼウスの例のように動物に化けた神、もしくは動物が関わった影響と考える例が世界的にみられる。

異類婚姻譚 – Wikipedia

こっからは別に何を調べたというわけじゃない完全にイメージだけの話なんだけど、昔から伝わる異類婚姻譚のテーマと、最近創作された物語における異類婚姻譚のテーマって結構違っているんじゃないかなって話で。

昔から伝わる異類婚姻譚では、ある種のタブーってのがついて回る。よくあるのは「見るなのタブー」。鶴の恩返しとかみたいに、見ないでくださいみたいなやつ。あと雪女の場合だと、雪女のことを話してはダメというタブー。これを破ると異類婚姻譚は破綻してペナルティが下っちゃう。その後、関係が継続する場合もあるけど、大抵の場合は悲劇的な感じで物語が終わってしまう。

で、最近の異類婚姻譚だと、これが少し変わってきているように思えてるって話が本題。最近の物語だと、種族間の価値観の差や寿命の差による別離ってテーマが多くて、何らかのタブー云々という要素がだいぶ薄れているというか、ぶっちゃけない気がする。例えば、「人間のやることはようわからん」みたいな話だったり、「お主は先に死んでしまうんじゃ」みたいなやつ。

このへんなんでなんだろうって思ったりもするけど、一つは物語としての継続性の話なんだろうなって気はする。タブーがあるパターンだと、実際にそのタブーを破るまでは物語に動きを出すのが難しい。ただの日常が続いていってしまうし、いざタブーを破ってしまうと物語が終わっちゃう。けど、価値観や寿命の差はいつまでも引っ張れるし、定期的にネタにしやすいんじゃないか説。

それ以外には、異類と異種族の差が認識の中で無くなっているというのもあるのかもしれない。ファンタジーでよくあるエルフやドワーフと人間、鳥や魚と人間みたいな感じ。逆に、異類というものがあくまで人外の生物という認識が強くなりすぎて、婚姻をイメージしにくくなっているのかもしれない。

ちなみに、この異類婚姻譚。結構メジャーな類型なのでいろいろな分析がされていて夫婦どちらが異類なのか、形はそのままか人間になるのか、どこで暮らすのか、子どもはできるのか、最後どうなるのか」みたいな感じで分類できるらしい世の中って難しい。

まぁ、こんな話を思ってみたけど、実際に何かを調べたわけでもないし、最近の物語に詳しいわけでもないので「いや普通にありますけど?」って言われそうではある。が、せっかく思いついた話なので、記事という形に残しておきたいと思う。

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