世の中のサービスや商品の名前にやたらオヤジギャクというか、ダジャレというか、そういうネーミングセンスをよく見るよねって話で。傍から見ていると、どういうセンスしてるんだよとか、会議室で酒でも飲みながら考えたのかよみたいな感想を抱きがち。
命名現場に居合わせた
だけど、先日その現場に居合わせると、あーなるほど、そういうメカニズムがはたらいてるんだなぁっと納得してしまった。要約すれば、名付けは難しいというだけの話。
名付けにも理由付けが必要
だいたい名前をつけるってのはすごいセンスと責任が発生するわけで本当は誰もやりたくない。うっかり間違って厨二病的な名前を提案してしまえばきっと冷たい視線を受けるだろうし、変に凝った名前をつけても調子に乗ってると思われる。かと言って無難そうな名前をつければ所詮この程度かなんて反応をもらってしまう。
しかも名前を多数決で決めようなんてしたらみんなを納得できるような由来なり根拠なり無いといけないんだろうけど、そんなものが一々あるわけじゃない。
そんなことを言われても
いきなりこのサービスの名前は「ほにゃほにゃ」なんて理由もなく言われても困っちゃう。できれば「この名前はカクカクシカジカという由来があります」なり「マルマルサンカクな調査の結果です」なんて言えればいいけど難しい。
よくありそうなのは「この名前は女性ウケを狙いました」とかだけど「それホント?」と問われたらまた困っちゃうし、うっかり社内でアンケート取りましたとか言っちゃいそう。そんなのをみんなに納得させるなんて無理無理。
オヤジギャクで乗り切ろう
そこへ行くとオヤジギャクと言うかダジャレはすごくわかりやすい。言われた方も、あーオヤジギャクねとか、ダジャレだなとは思うしダサいなぁって思うけど、一瞥してそう分かるんだから意味がある。
逆に反対して対案を出せなんて言われると、今度はオヤジギャクでもダジャレでもない名前を考える必要がでて自分のセンスが問われてしまう。自分がすげーコピーライターだったら攻めて行けるけど、普通の人ならたぶん無理。
そしてこうなった
かくして新しいサービスやら製品にはオヤジギャクというか、ダジャレというか、そういうネーミングセンスをよく見るよねって話につながっていくんじゃないかなぁっと思うのよね。もちろん、そこにサービスや製品に対する愛があるかどうかってのはまた別の話。
でも、逆にセンスを発揮すると困ることも
あと、これと似た話で一般名詞や一般動詞を名前にしてしまうググラビリティの低いネーミングセンスも同類じゃないかなぁっと思うんだけど、その辺は機会がなくて見たこと無いのでよくわからない。多分、もう面倒だからそのものの名前なら反対もないだろ的なところな気はするんだけどね。
ただ、こちらは検索に引っかかりづらいとか話しづらいとか実害が伴うので逆に厄介な気がしないでもない。