イース8 インフィニティでクリア

感想・レビュー

 Vita版、PS4版でやってたイース8。PS4版でインフィニティモードでクリアした。

 はじめはインフィニティ・インフェルノで進めてたんだけど、流石にボス戦で1時間以上かかるようになってきたのと、1時間弱経過してボスの体力を8割くらい減らしたあたりで一撃死とかされる事案が発生し、心が折れ始めたので結局難易度を落としてインフィニティ・ハードでクリア。

 そもそもインフィニティ、一周目クリアして特にレベルも上げずLv 70代前半で行くものじゃないな。普通にレベルくらい上がるだろうと思って始めたけど、経験値がノーマル基準だったらしく終盤までレベルはほとんど上がらず。特にこのゲームは武器を買ったりはできないので、レベルは高いけど攻撃力は弱い、でも敵のレベルは高いので硬い。というしんどいモードが始まる。まぁ、ある程度ならこれも面白さに変換できるんだけど。

 逆に後半になればなるほど武器が強くなるのでレベルは上がらなくても相対的に楽になっていく。という序盤概要に難しいイメージ。一番はじめの迎撃戦とかは村の強化もできないし、武器も弱いしで何回かやり直したレベル。

 あとは下手なボスより途中の大型雑魚が硬すぎてどうしようもないだけど、それに拍車がかかってる。おかげで最後辺りの大型雑魚+雑魚ラッシュが鬼門でひたすらちまちま削ってた。続くボス戦は単体なので特に苦もなく撃破。

 ゲーム自体はVita版から含めて3周目なのでサクサク進む。どこかで書いたような気もするけど、ほんとにストレスのない、やってて気持ちが良くなるゲーム。適度なタイミングで差し込まれるイベントや新展開、無駄な作業なんかがほとんどないゲームシステム、初見殺しになりそうなポイントもほとんどないし、それっぽいところもそれはそれなりにフォローされているので、本当に安心して遊べるゲーム。

 ストーリーはいろいろな見方があるんだろうけど、好きなテイストかな。Vita版から補足されているエタニア編の話もいい感じ。ただ、やっぱりダーナのレベルがアドル編と同期しないせいで、いきなりレベル60そこそこで始まって敵のレベルは90超えてますとかナチュラルにきつかったです。まぁ、それにしたって普通に遊んでる分にはいいバランスだったので、単純にインフィニティ難しいってだけの話なんだけどね。

 4周目はあるかなぁ。トロフィーとか集めるのはあんまり趣味ではないので、また別の機会にって感じかな。久々にクリアしたので覚書までに。

 イース8の元になった「ゲーテ海案内記」。研究者のなかでどういう評価なのかがすげー気になる。なんとなく創作とか偽書呼ばわりされてたり。「おい、すげー本でてきちゃったよ」的な。「でも調べてみると、確かにそんな島はあるし、地理もそこそこあってる気がするし、村のあとっぽい遺構も見つかるってるし、ロンバルディア号沈没っていう記録もあるし。多分、アドルがそれを題材にしたんだろうなぁ。流石に」ってな捉え方をされてそう。

ロビンソン・クルーソーは架空の人物である。しかし、実際に無人島で生活した経験を持つスコットランドの航海長アレキサンダー・セルカーク(Alexander Selkirk) の実話や[1][2]、17~18世紀に広く出回っていた数々の航海誌等をモデルにしていたとされる[3]。しかし物語は、幾つもの海賊の物語に影響されて作られた物でありセルカークをモデルにしたものではないとする見解もある[4]。

1704年10月、航海長をしていたセルカークは、船長との争いが元でマス・ア・ティエラ島に取り残された。マス・ア・ティエラ島は、チリの沖合に浮かぶ全長約20km×幅約5kmの島でファン・フェルナンデス諸島では最も大きい島である。セルカークは4年4ヶ月の間、このマス・ア・ティエラ島で自給自足生活をし、1709年2月にバッカニアのウッズ・ロジャーズに救出された。

セルカークの特異な体験談はロジャーズの航海記で紹介されて、それをロンドンのジャーナリスト、リチャード・スティールが1713年に新聞で紹介した。この話からヒントを得たダニエル・デフォーが、ロビンソン・クルーソーの物語として1719年に初版を出した。初版本では著者名はなく、あたかもロビンソン・クルーソー自身の航海記であるかのような形式をとっていた。

1966年にマス・ア・ティエラ島はロビンソン・クルーソー島と改名され、今日では約600人が住む島になっているが、実際にセルカークがこの島のどこで生活をしていたのか、具体的な事は全く分かっていなかった。

1992年に日本人探検家の高橋大輔がこの島の調査を始め、実際に現地で自給自足生活を試みるなどしてセルカークの足跡を追った。2001年に高橋はセルカークの住居跡と思われる場所を発見した。2005年1月-2月に考古学者を含む調査隊を率い発掘調査を行った。高橋が最初に住居跡と思っていた所は、セルカークの年代より新しいスペイン人の作った火薬庫の跡だったが、その下からセルカークの年代の焚き火や柱の跡が見つかった。そして土の中から16ミリの金属片を掘り当て、当時の航海用の器具(ディバイダー)の先端部と一致したことが決め手となった。調査結果は2005年9月15日に世界中で同時に発表された。
ロビンソン・クルーソー

タイトルとURLをコピーしました