邪馬台国の所在地論争ってどうなれば決着するのか問題

邪馬台国に関する思いつき

邪馬台国の所在地論争ってどうなれば決着するのか問題

奈良だ、九州だ、東北だ、いやハワイだなんだと侃侃諤諤の邪馬台国の所在地論争。文献史学、考古学、はてはスピリチュアルなど様々な方面から議論されている話題だけど、これはいったいどうなれば決着がつくのだろうか。ということを考えてみる。

よく言われるのが印綬。どうも邪馬台国は魏から印綬をもらった様子。これが出土すれば、そこが邪馬台国なのか、と言われると多分そうならないはず。そもそも印綬なんて持ち運びも簡単で、貴金属か貴石なのでそのものの価値も高い。うっかり邪馬台国が征服されたりしたら、まず戦利品になってどっかに運ばれちゃう。

例えば「漢委奴国王」の金印が福岡県志賀島で出てきたけど、じゃぁ、志賀島にそういう国があったのかというと多分そう思ってる人は少ないはず。それと同じ感じ。

ちなみに、個人的には印綬が鋳つぶされたりせず残っているとすれば福岡県沖ノ島とか、どっかの古墳の中か正倉院みたいなところの片隅に転がってる気がする。流石に大英博物館やスミソニアン博物館にはないと思う。

次によく言われるのは出土品。例えば銅鏡が出てきたり、銅鐸や銅戈銅矛みたいなものが出てきたり、でっかい古墳が出てきたりすると、すわ邪馬台国みたいになるけど、多分これも決着しないはず。当たり前だけど、邪馬台国があった当時、日本中にいろんな遺跡があるわけで、その中のどれが邪馬台国って言われても、いやいやうちの方が、いやいやこちらのほうがって収集つかなくなる。これはよっぽどのものがないと決着しないと思う。少なくとも桃の種がいっぱい出てきたからって理由はさすがにあんまりすぎる。

じゃぁ、どうなれば決着するのだろうと考えると、個人的には以下の二つ。

  • 副葬品から「邪馬台国」と書かれた文字資料が出てくる
  • 朝鮮半島のどこかから「魏志倭人伝」の元となる報告書が出てくる

当時、倭国側は文字を持ってないわけで、そんな中意味が分からないなりに魏から「邪馬台国」という字を与えられるわけで、そういうものに呪術的、権威的な意味を見出すのはあると思う。そのほか魏から文字が書かれてそうなものもいくつかもらっているので、それが出てくれば可能性は高いんじゃなかろうか。ただ年が書かれているだけだったり、普通に出土するだけだと持ち運ばれた説が出てくるから、そういう意味で副葬品から出てくるっていうのが望ましそう。まぁ、メジャーな古墳は開けられないので、この線は薄いのかな。

ただ、字をマネして石に掘ってみるみたいなことはしてそうではあるので、そういうものはどっかに見つかるのかもしれない。

もう一つは朝鮮半島のどこからから魏志倭人伝のもとになった資料が出てくるパターン。魏志倭人伝は複数回往来した使者の記録を元に記述されているはずで、その記録は文字化されていたはず。ということは、どこかの段階で文字化された元ネタの資料が存在した可能性は高い。

そして、その元ネタの資料は、今わかっている魏志倭人伝の内容よりもっと詳しく雑多にいろんなことが書かれていたはずで、特に行き来の状況なんかは、より丁寧に書かれていたと思われる。だって、次行くとき記録が残ってないと大変だしね。そういう資料は、当時文字がなかった倭国側ではなく、中継地で使者のアテンドを担当したであろう、朝鮮半島人たちが書いている可能性が高い。それがあれば、あやふやな道行きがはっきりとしてくるのかな。

もちろん、その資料は最後には陳寿のもとへ届いたのだろうけど、その写しや断片なんかは残っている可能性があるのではないかと。きっと朝鮮半島にある古墳や資料をひっくり返せば、まだ未解読となっている資料の一部として、ひょっこり出て来るんじゃないかなと考えてみたり。

ただ、その時の資料には「邪馬台国」とかの漢字では書かれていないはず。よく言われるように「邪馬台国」という字ずらが中華に住む人以外を蔑む意味で意図的につけられているとすれば、元ネタの資料の時点でそんな面倒くさいことはせず、より実態に近い漢字や書き方をされていて、それを陳寿が魏志倭人伝としてまとめる際に漢字を同音の貶める漢字に置き換えたと考えるほうが、より現実的そう。まぁ、そうなると中々見つけずらい気がする。

自分としては、多分この2パターンくらいでしか、邪馬台国所在地論争は決着することはないと思うのです。というお話し。

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