なにかを批判するときに揶揄しては行けないと思う

考えたこと

 最近Twitterなりのネットの界隈を見ていると、批判自体は真っ当そうなのに言い方で損をしているなぁっと思うことがあって気になっていた。なんでなんだろうと考えると、本筋である「批判」とは別に当てこすりというか、皮肉というか、もしかすると本人的にはユーモアなのかわからない余計なものがついているのが原因じゃないかという話。

 例えば、「〇〇は良くない」とか「〇〇はこうすべき」とか「〇〇はなんでこうなっていないんだ」みたいな話があるとする。コレ自体は、なるほどそうなのかとか、そういう意見があるのかとか思うんだけど、それに余計なものがついてくることが多い気がする。

 「だから〇〇はだめなんだ」とか、「〇〇はわかっていない」とか、「〇〇は気持ち悪い」とか「〇〇は低レベル」とかが後半に続く。例示すればキリがないんだろうけど、せっかくの指摘のあとに個人や組織、属性に対する攻撃や罵詈雑言、誹謗中傷や人格否定、そういったものがあとに続いたり、内輪受けなのかユーモアなのか嘲笑というか揶揄というか、そういったものが続くこともある。

 自分もやっちゃいがちだからわかるんだけど、指摘のあとに一言言いたくなるんだよね、オチを付けたくなる。もしくは怒りだったり憤りだったりの発露だったりするんだろうけど、聞いている側の僕としては、なんというか「問題」にフォーカスしてないなぁって聞こえてしまう。

 もちろん、感情に訴えかけるってのはすごく大切だし、その思い自体を疑うつもりはないんだけど、それを安易な形で発露してしまうってのがすごくもったいない気がする。少し前に話題に上がったTone Policing的な話にも繋がってしまうのかもしれないけど、聞く側に身をおいていると「結局、後半の部分がいいたいだけなんだろうなぁ」っと思ってしまいがちになる。

 それよりは「〇〇を変えたいから△△したい」、「〇〇はこうなってほしい」とか「〇〇をわかってほしい」とか続くと、なるほどなぁっと思ったりもする気がする。どうしたらいいのかはよくわからないけど、たぶん次のアクションをプラス方向で提示すると共感しやすいんじゃないかなぁ。次のアクションをマイナス方向で言われても困るしね。

 僕個人としては、そこまで主張したい何事かってのはあまりないのではっきりとはわからないけど、なんとなく後半を言った時点で発言している人は問題の解決を放棄しているような、どうしてもそんな気がしてしまうんだ。

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