ここしばらく、Twitter(現X。Xというと検索可能性が低いのでTwitterと併記しておく)を見ていると非常に陰鬱とした気分にさせられて距離を置いている。一時期はBlueskyの方にも行ったりしていたけど、結局のところ、ああいう現代のSNS的なものが、自分の中でだいぶ受け入れがたいものになっていしまっているというのを認めないといけない気がしたということを書いてみる。
発端というのは特にないのだけど、一番大きかったのはTwitterが専用のアプリを廃止して、For Youを実装したことなんだろうな。今までは自分がフォローした人たちのタイムラインを眺めていればよかったのが、そうじゃないものが混じってきた。
もちろん、そんなものは見ないでいいよって向きもあるんだけど、彼らはあらゆる手段を使って自分の注意を引こうと努力するし、気を抜いたらついつい見てしまう。そして見てしまうと非常に残念な気持ちになってしまう。
何か起きそうで起きない/起きてしまう謎の動画、可愛げな動物、くだらない創作小話。本当はもっと頭がよくて、とてもとても世界で良いことを成せるような人たちがゴミのような一問一答に明け暮れて時間と才能を無駄にしている様。言葉尻をとらえて、誰が何を言ったか、どういう流れか、なにを議題にしているのかもわからないただの放言。なんというか、見ていて残念という以外の言葉がない。
むかしどこかで誰かが言ったと思うし、自分も思っているけど、SNSという枠組み(現在、SNSと言われているもの)は人類にはまだ早いと思うんだよね。まったくもって害悪でしかない。これがまだ、Mixiくらいなら、本当にリアルの友人同士、リアルの繋がり、他者が割り込まない(ことが多い)アクセス制限みたいな感じで本来のSNSとしてよかったかもしれないけど(陰口大会になるってのは置いておくとして)、今のSNSは全くソーシャルのネットワークも何も反映していない。ただの社会分断装置(Social Divisive Network)にしかなっていない。
そんなに嫌なら見なくていいじゃんというのはその通りで。とは言っても、いまだにSNS上にいる知り合いや興味がある人、情報自体はあるので、時たまそれを見に行くくらいでしかないし、今のSNSが無くなったら、そういった人たちとの関係(一方的かもしれないけど)は切れてしまうんだろうというもの寂しさはある。もちろん、自分が嫌いなもの・不快なものはなくなってしまえとは思わないし、人類史上のある時期にSNSというのが非常に強い力持っていたというのは後世の歴史がきっと物語るので、まぁそれはそれでいいのかなと思わなくはない。
本当は、以下の内容についてまとまった文章を書きたいと思っていたんだけど、力尽きたので殴り書きで。
Twitter上で長文と称してスレッドをつける文化があまり好きではない。せっかくそれだけの文章を書ける能力と知識、経験があるのなら、Twitterみたいなフロー型のメディアに書かずに、ストック型のメディアに残しておいてほしい。あなたが一生懸命書いたそのスレッドは、たった数日経つだけでゴミの中に埋もれていって、二度と日の目を浴びないのに。
それを救うための外部サービスとしてのTogetterは一定の役割は果たしていると思うけど、結局のところ、大元が無くなったら無くなってしまうのだという悲哀がある。ネット上の情報は消えてしまうのが世の常だけど、少しでもなにか残るようなものがあればいいなと思う。
Twitter上で、一問一答を何千回繰り返しても、何の知見も共通認識も得られないと思う。知識ある、良識ある、素晴らしい人たちにとっては、一つ一つの問や回答は価値があるのだろうけど、果たしてそれが何かに結びつくのだろうかと思わざるを得ない。もちろん、そんな風に世界が良くなると思うこと自体が、一つの幻想ではあるし、なにも得られないことの方が多いのだけど。ただ、もしかすると過去の偉人たちの往復書簡から学ぶことはあるだろうし、その引用一つが、すべてが消え去った後にただ一つの残滓として、のちの世に受け継がれることもあるだろうと思う。
書店が多く潰れているという話は周知の事実で、じゃぁ自分とてリアル書店で本を買ったのはいつが最後だっけとなるくらいなので大きなことは言えないが。何らかの思想、考え、検討の結果、そういったものを残しておくのに、本という形(一定の思想に則って、一定の内容について記述されたもの)は残さないといけないのではないかと思う。それが物理媒体なのか、電子媒体なのか、石に刻むのか、粘土書いて焼くのかは分からないけど。
そういう意味では、電子媒体でもいいので、一塊の情報を残しておくことの重要性、それを収集、整理、保管、提供する新しい形が求められていくような気がする。これは決してAmazomやなんかではない、知識の収集という意味で。ただ、従来の出版と同じく、こういう本になりうるものを持っている人は、別に本づくりの人ではないので、そこに必要な編集やらなんやらが必要で、その費用をペイするならやっぱり利益が必要で、マーケティングと売上が重要で。もちろん電子書籍の個人出版というのもあるけど、どういう形がいいんだろう。わかんないや。