九州国立博物館 | 特別展『王羲之と日本の書』へ行ってきた

感想・レビュー

 絵画なんかの見る系の特別展は微妙に楽しみきれないんだけど、王羲之ということならいってみるかということ今日から九州国立博物館でやっている「王羲之と日本の書」へ行ってきた。

王羲之に関する印象

 とは言っても格段王羲之に親しみだったり思い入れがあったりするわけじゃないんだけど、気になるんだよね。書聖っとかって言われててすげー人らしいんだけど、正直凄さがよくわからない。

 ちょっとぐぐってみても同じような人はたくさんいるらしく、要するに「書聖って言われる割に上手じゃなくね?」って話。それぞれに解説もあるんだけどなんかよくわかんないんだよなぁ。いや、わかるんだけど、しっくりこないというか微妙な感じ。

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 それなら実際に見てこよう、そして初日はリレー講座「王羲之と日本の書」ということで島谷弘幸 先生(九州国立博物館館長)の「王羲之愛好と書の魅力」って講座もあるらしいし、いい機会だね。

で、なんとなくわかったこととしては

 もともと何かに彫ったり刻んだりしていた文字が「筆を使って紙に墨で書く」ものになっていった時代、文字の形すらも定かではなかったような時代のなかで、みんなが試行錯誤していた時代の象徴として王羲之ってのがいるらしい。

 その結果として、楷書とか草書、行書なんて字体も出てきたし、字を書くということがただの記録の手法のみならず、自己表現や芸術表現の手法としての書が確立されたと。その始まりの象徴なので書聖と呼ばれると。

 あとは、講座の中で王羲之の少し前の時代の人の文字を見たけど、確かに全く印象が違う感じだった。王羲之以前は隷書風の草書っぽいもの?だったっぽい。

 もちろん、展示だけじゃなくて他のサイトとかもちら見した中での印象だけどね。

 まぁ、今みたいに文字も字形(グリフ)も決まっていないし、活字もない、書体とかもない。そんな時代に試行錯誤した人たちがいて、我々ははその巨人の肩の上に立っているってのがすごいってことなんだろうな。

日本ではどうだったの?

 で、その王羲之がその後の世の中の基準になったらしく日本でもそれを引き継いで三筆や三跡と言われるような人たちが登場、次第に漢字以外のひらがなやカタカナが出てくることで書き分けや使い分け、書体の変化なんかの組み合わせが表現力を産んで日本の書(和様)というのにつながっていくらしい。

 特にひらがななんかは文字と文字を続けて書いていく連綿という書き方が発達して、あの例のにょろにょろな字が出来上がるらしい。しかし、当時の人達は相手の書いた文字をちゃんと読めてたんだろうか。正直読めてなかったんじゃないかという気がしないでもない。

 案の定、藤原定家が書き写した更級日記の解説に「美しさよりも読み間違いがないように書いた」的なことが書いてあったけど、やっぱり読み間違いも多かったんじゃないだろうか…。

 書状なんかを見ると、結構勢いでエイヤッとかいてるようなところが多いような気がしてるんだけど。まぁ、消しゴムもないし、簡単には書き直せないようなことも多かったんだろうし、けっこう大変だよな。

 今回の展示では一つの作品でも複数の色違いの紙を使っていたり、紙字体に模様をつけてあったりして色々な趣向を凝らしたやつが多かった。でも、色んな色の紙(料紙)を組み合わせた作品を見ていると、漫画雑誌のあの紙の色を思い出してしまう。

リレー講座 「王羲之愛好と書の魅力」

 特別展の2周目をしてたときに、他の観覧者が「30分前だし、そろそろいかなくちゃ」みたいな話を立ち聞きしたときは、流石に早いっしょって思ったけど、最終的には会場満席、職員さんがどこかからか椅子の予備を出して増席してるレベルだった。

 「読めなくても楽しい、読めるともっと楽しい」というのが主テーマ。

 講座で例に上がっていたのは音符が読めなくても楽器が弾けなくても音楽を楽しめるし、自分の感性で評価もできる。絵をかけなくても絵を楽しめるし、自分の感性で絵の評価ができる。料理ができなくても料理を楽しめるし、自分の感性で料理を評価できる。

 なのに「書」になった瞬間に上手い下手、好き嫌い、読める読めないと言ったものが邪魔をして楽しめなくなってしまうことが多い。そういうのにとらわれず、まずは感性を大切にして楽しめばいいんだよって話だったと思う。でも、読めるともっと楽しくなるらしい。

いくつか雑学的な話として

 九州国立博物館が妹至帖を購入した価格は378,000,000 円らしい。日本にも数点しかないっぽい。

 書を楽しむ第一歩として、自分の名前に使われている漢字に注目して見てみると良いらしい。作品の中で登場する自分の名前の字を比較したり覚えたりする。ついでに気に入った書から文字を切り貼りして表札とか作るとかっこいいらしい。

 昔の日本での筆の使い方は単鉤法というのだったらしい。今調べてみると、筆を少し倒すというか、鉛筆と同じような感じで書くやつなんだろうか。

 古い書と言っても現代アート的な見方でみてみるもの良いかも。

 同じ作品の中でもいいところ、わるいところがある場合もある。どこが好きとか、どこ嫌いというのも感性を大切にしたい。例えば、同じ手紙でも前半は紙面を詰めて書いてたのに、後半紙が余ったので大きく書いたりして、同じ手紙の中でもだいぶ違うらしい。そして、文字としては後半の大きく大胆に書いたあたりのほうが面白いらしい。これも自分の感性。

 書なんかの美術鑑賞はすべてをしっかり見るのではなくて、気に入った数点の作品をじっくり見るような感じが良いらしい。人はそんなにたくさん覚えられない。これと同じような話は別の場所で聞いて自分なりに実践してたりする。とりあえず展示会場全体をさっと見て、気に入った作品だけをじっくり見る的な話。

 今回の特別展、館長の個人的な好みで言えば前半がおすすめらしい。

 九州でこの規模の書に関する展覧会が催されるのは初めてレベルらしい。また、国宝、文化財級の出品も多くて見どころだらけなそうな。

 ざっくり自分レベルの理解だとこんな感じかな。

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