邪馬台国と魏の呉に対する戦略的価値について考える話

邪馬台国に関する思いつき

邪馬台国に関する魏志倭人伝の記述に問題があると、割と引っ張られてくるのは魏が呉と対決するに当たり邪馬台国の存在を利用した云々という話。例えば、より強大な国に見せかけるよう人口を増やして記述したり、場所を南に移して呉の背後を狙えるような位置に移動して記述したり、同じく蜀の背後にある大月氏国とバランスをとるために距離や位置、称号を調整して記述したりしていたなどなど。

まぁ、魏志倭人伝というのは魏の歴史を書いたものだということでそういうこともさもあらんと思ったりもするのだけど、いまいちピンことないことがあるなぁっとぼんやり思ったりする。

例えば、そもそも魏に邪馬台国が朝貢してきたという話を、当時の呉の人達は知ってたりするんだろうか。例えば魏がどっかでビラとか発表とかして「えー、今度、呉の東側にある邪馬台国という国がうちに朝貢に来ました。遠くから来てくれたので親魏倭王の称号と印綬を授けました」みたいなことをやってたりするのかなっと思ったりする。呉を牽制するという意味なら、すべて終わったあとに書かれた魏志倭人伝で書いてもしょうがないので、やっぱり当時の呉に存在をアピールして、お前は挟まれてるぞ!としないと意味がないのでは?と思ったりする。

もし、そういうふうに喧伝しているんなら魏志倭人伝以外に探せが色んな情報が出てくるような気がするし、呉の方も「こりゃぁやばい」となって調査に乗り出したりして、そういう記録も残ってそうなのになって思う。あるんかな、そういう記録。

あと、魏志倭人伝の記載を見ていると、どうも当時の邪馬台国は、文字もない、政治はもっぱら鬼道でやってて官僚制もない、馬もない、武器も矛、盾、木弓レベルで、なんか今どき入れ墨とかしてる、そんで南の方にある狗奴国という国に苦戦してるっぽい。これって当時の魏から見たら、バカにするしない以前に本当にただの蛮族レベルだと思うんよね。そんな国に呉の背後を取るとか戦略的なものを期待するかなぁって思う。

そのほかにも戸数なんかの記載はあるけど、どのくらいの船をもっているとか、どのくらいの兵力が動員できそうだとかも書いてない。なんか海潜って魚とか取ってる、農地少なくて交易で食べ物調達している、草がぼうぼうで前を歩く人の背中も見えないとか、そんな話を書くくらいなら、対呉との戦略に使えるような情報を記載しておけよと思う。いや、そういうのは機密情報だから書かないのだと言われても、それを書かないことにはなんの役に立つのかわからないんじゃなかろうか。もし、機密情報なら、むしろその情報がどっかに残ってることを期待したほうが良いのではないかな。

そもそも、たかだか中国大陸へ船で渡るくらいで持衰みたいな人を準備して成功したら褒美を与え、失敗したら殺すとか、海を渡る成功率低すぎるだろ。文字もないなら手紙もかけない、作戦指示も現地じゃないとできない、本拠地の邪馬台国へは倭国に上陸してからでも片道2ヶ月以上かかる(水行20日+水行10日陸行1月)。これで戦力だー、呉の背後を脅かしてるぞっていうやつがいたら、多分当時でもアタオカ扱いされていたんじゃないかな、流石に。あんだけいろんな形式、規模で戦争やってるのは伊達じゃないと思うんよね、三国時代。

じゃぁ、当時の邪馬台国を魏が対呉戦略の一つに組み込んで扱うとしたらどういう扱いになるのかと言うのを考えてみる。少なくとも直接的な戦力としては期待していない / できないのは明白なので、その線は置いておく。これは陸上兵力としても海上兵力としても同じ。となると、魏が呉を攻めた際、呉の首脳陣が海に逃れてたどり着く候補地の一つとしての邪馬台国というのは考えられる気はする。

うっかり呉の首脳陣が邪馬台国へ逃れ、口八丁で亡命に成功してしまうと戦争が長引いてしまう。そのときに備えて、魏が事前に邪馬台国へ粉をかけておけば、呉が漂着したときも警戒したり、あわよくば討伐してくれるというのを期待したくなることはあるかもしれない。少なくとも、呉の人が邪馬台国へ漂着した(生き残っている)という情報だけでも手に入れられれば、呉の再起の兆候を事前にキャッチできるかもしれない。

そう考えると、たかだか東の蛮族である邪馬台国と小競り合いしている狗奴国との戦に魏がわざわざ口を出してきたのも、狗奴国が残ったままだと呉がうっかり狗奴国側へ漂着して担ぎ上げられると、倭国で魏と呉の代理戦争が勃発してしまう可能性を考えていたのかもしれない。そうなる前に邪馬台国には狗奴国を滅ぼしてもらって、呉の亡命先候補を潰してもらいたかった、とか。

そうであれば、魏の邪馬台国という蛮族に対して親魏倭王を与えたり、物を送ったり、詔書・黃幢、檄を与えるなど過分とも思われる対応をして手懐けようとしていたり、魏志倭人伝の記述が地理、習俗だけではなく、人柄的なところが書かれているのも分からなくはない。こういうのを残しておけば、次行ったとき呉の勢力が入り込んでいると、あれ?前と違うな、なんかあったのかな、とかわかりやすくなるのかもしれない。

まぁ、呉も亡命するならわざわざ日本列島まで来なくても台湾あたりへ逃げ込めばいいと思うし、そもそも呉が邪馬台国をどの程度認知していたかもわからないので、本当にそんなことを考えていたのかって言われると、どうなんだろうね、としか言えないんだけどね。

そういえば、日本人「呉の太伯の末裔説」ってのがあったな。これって歴史的に見るとどのくらい前から言われてるんだろうか。この話を三国時代の魏の人が知ってれば、次同じようなことにならないよう亡命先を懐柔しておこうという考えにならないこともないのかもなぁ。

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