色々とあった2011年も終わり2012年も1/4ほど経過したので、思ったことを書いておく。
今回のテーマ
一番気になったのは「身軽さ」。
何かあった時にすぐに動けることが大切。そのためには身の回りのものを整理して身軽になること。行動をシンプルにして変化に強くなること。
そもそも震災規模のものが頻繁に起きるとはさすがに思ってないけど、この不景気の世の中は当面続くだろうし、何かがあって現状を維持できなくなることは十分に起こりうる。
変化に強い生き方
となると「現状が続くこと」を前提とした生き方、生活をやめ、変化に強そうなやり方に改めていきたい。そういう生き方ができれば、外的要因での変化に強くなるのはもちろん、自分からも変化を起こしやすくなるのではなかろうか。
例えば、荷物を減らせば引っ越しはしやすくなるし、部屋を探しやすくなる。家賃の下限も下げやすくなるし、移動もしやすい。逆に荷物が多ければ大変になる。
生活レベルの話
端的に言えば、サラリーマンはお給金で生きているわけだけど、自分でお給金を決める訳じゃない。つまり、自分の意思の及ばないところで上がったり下がったりするわけ。一昔前なら下がることを念頭に入れなくてもよかったのかもしれないけど、今はそうは言ってられない。もちろん、上がるかもしれないけど。
となると、自分の今のお給金レベルで生活を構築すると下がった時に困るわけで。今をベースとした分相応の生活ではもはや足りない。自分が最低限稼げるだろう金額をベースに生きていきたい。
職能について
昨今の世の中では、働いてなんらかお金を手に入れないといけないわけで。
となると、なんらかの役に立つ技能というのは持っていて損はないだろう。問題はどんなものを準備するか。かっこいい言葉でいうとキャリアパス。
とはいっても、その方向性は難しい。単純にすれば、専門性を伸ばすか、平均的なレベルを上げて汎用性をとるかの二択だと思われる。変化の速い時代で安牌をとるなら汎用性だろう。そもそも自分が選んだ専門領域が後々まで需要があるかは不明だし、自分の環境が変わることも考えられる。
逆に専門性を伸ばすのであれば、いくつかの専門領域の候補を持っておいて適宜、力点を変えていくのがよいのだろうか。
結局は汎用性を上げつつ専門性を伸ばすという当たり前に落ち着くんだな。
過剰クオリティなことが多いという話
身の回りには、本当にこんな機能や品質、用途が必要なのか分からないものが多い。また、そんなものが身の回りにあれば自然とそれを使うようになり、次第に身の回りが複雑になっていく。
生活をシンプルにすることを考えると、多機能なものや特化したものを選びたくなるけど、それでは煩雑になる。そもそも、そんなものが必要ないような風にやればよいと思う。例えば、使いもしない機能が沢山あるものよりは、機能が少ないもの。ちょっとした機能の違いで同じものをいくつも持つよりは一つのもので代用するように。
シンプルにするのは物だけではなく、行動や考え方もシンプルにしたい。多少のものならば代替可能だし、特化したり、単機能にしたりせず、むしろ、それ自体を省くことも視野に入れていきたい。
買い物の時に考えること
なにかを買うときにの寿命を考えるのは重要。これは製品自体が使えなくなる製品寿命ではなく、自分がいつまで、どのくらい使うかという寿命の話。
例えば、コップを例にとる。紅茶用のカップならば紅茶を飲むときにしか使わない。既に紅茶用のカップを持っていれば、さらに利用頻度が落ちる。マグカップならば大抵のものを飲む場合に使うだろう。なにかを買うときには、それを意識する。
また、逆に手慰みで買うと初めから思っているのなら、それはそれでよいのではないだろうか。