反出生主義に思うこと
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むかしから反出生主義について肯定的に賛同している人が、どうも癌の宣告を受けたらしく、かなり動揺されているらしい。その人個人に対して、含むところもなく、本当に健やかに、心穏やかに長生きしてくれればいいなと思うのだけど、それはそれとして反出生主義について考えてしまったので、頭の整理のために書いておこうと思う。
反出生主義を簡単に
反出生主義ってのは、要するに人間は生まれてこない方が良いという話らしい。中にはいろいろあるらしく、生存している人も生存しない方がいいという話から、生まれてきてしまったものはしょうがないので拡大再生産をしないようにしましょうみたいなものもあるらしい。
まぁ、生物の生存意義は何ですか?「子孫を残し、種を存続させること」です。みたいなものの逆張りバージョンと言ったところ。余談ですが、この生物の存在意義はなんですかという議論、「子孫を残し、種を存続させること」みたいなのは単に生存者バイアスなので順序が逆、生きているから生物なんです。って話ですよね。生存意義は何ですか?の答えは多分「そんなものは無いので、自分で目的意識をもってください」だと思います。閑話休題。
反出生主義の問題点
こういう話をしだす人ってのは、どういう人かというと、基本的に生きているのがつらい人とつらい人を見てああはなりたくないと思った人だと思う。もちろん、世の中には生きるのがつらい人がたくさんいて、そのつらさのグラデーションも、それこそ天国と地獄ぐらいの差があるわけで。そのつらさについては、別途検討する必要があるのだけど、問題はこれを主義として声高に宣うことなんじゃないかなと思うわけです。
それって家父長制じゃね?
極端に言えば、「なんでお前が他人の人生について勝手に評価して勝手に絶望して勝手に口出してんだよ」って話。そんなことくらいは自分で考えて行動するので、口を出すな。この構図ってすごく醜悪で、究極のお節介、パターナリズム(家父長制)の極致。まったくの権威主義でしかない。
他者の苦しみを想像しながら他者の可能性と自由を奪う。それはやさしさではなく、支配というのではなかろうか。
自分には適用されないんだ?
で、冒頭の人を見ていると、反出生主義を唱えつつ、いざ自分に死の影がちらつくと動揺するらしい。いや、動揺するのはそうだろうと思うし、非常に大変な気持ちなんだろうという風に思うのだけど、じゃぁ今まで賛同していた反出生主義については、どうお考えなのかというのが気にかかる。
生まれる前の人にだけ、えらく強気ですね?
ということを考えていて思ったのは、反出生主義というのは先行者利益を守りたいだけの話だったんだな。もちろん、これを唱えている人は色々考えて、つらかったりなんだりする人なのかもだけど、要するに今の自分のポジションを守りつつ、新規参入を阻害する、そういった思考なんじゃなかろうか。
そう考えると、なるほどと思うし、理解はできる。また、そう考えると他者の存在をスケープゴートにするという意味で、民族浄化ならぬ世代浄化という側面から見てもいいかもしれない。
ただ、そのスケープゴートの先が出生前の存在であったり、子どもを授かろうとしたり授かっている人たちへ向いていて、自分は確立された安全圏から一方的に口を出す。それって人を思いやってるんですかね。
宗教の宗旨としての反出生主義
ちなみに、思想信条というか宗教の教義として反出生主義を唱えるのは、その対象が自宗教の信者に限定されているうちは、ありだと思う。宗教であるならば、反出生主義を言う資格がありますもんね。
信仰共同体内の戒律として自発的に受け入れているなら、それは本人の自己決定。その矛先が他者に向くのであれば、それは受け入れられませんが。
反出生主義者が辿るべき道たち
もし、反出生主義を唱えるのであれば、その後の行動はあんまりパターンがなさそうだなと思っています。
一つ目は、自分が死ぬ。人に殺されるのを期待するのはのんびり過ぎるので、自分で死ぬしかない。これ以上の拡大再生産は確実に止められるので、そうするしかない。自分で自分の始末をつけるしかない。
二つ目は、すべての人を殺す。一つ目の延長線上にある選択肢。たしかに、これ以上の拡大再生産は必ず止められるので、それも選択肢の一つ。ただ、そんなことできる人は、中々いないし、高々100人とか1,000人殺しても世界に与える意味はないので、それをするくらいなら一つ目の方が確実ですかね。二つ目を選ぶくらいなら、そちらを選んだほうがいいと思います。
三つ目は、生きて少しでも良い世界を作る。もともとは生きていることに苦しみが多いという話であれば、少しでもその苦しみを除いていけばよいのです。これはすべての人が同時に「良い」という状況を作ることは、そもそも困難なので、少しでも世界が、人が生きている世界が良くなっていくようにすればよい。
四つ目は、反出生主義という思想を内面で持ちつつ、言葉にも行動にも出さずに、静かに、誰にも迷惑をかけずに生きる。日本では思想信条の自由が保障されていますので、勝手に思っているだけなら何でもいいと思います。外からは分からないので、好きに生きてください。
それ以外の選択肢?
この4つのどれも選ばず、ただ「自分の抱えるつらさ」から「世界はつらい、不幸を断つために新しく生まれない方が良い」 と「言うだけ」で済ませるのなら、それは思想でも信条でもなく、単なるポーズですよね。
であれば、反出生主義なんて回りくどい看板を掲げず、ただ「私はつらい。助けてほしい」と言えばいい。そのほうが、よほど誠実だと思います。
終わりに
反出生主義者が取れる道行き、この4つのうち、どれを選ぶかは個人個人の判断だと思います。
が、もし反出生主義を気取るのであれば、できれば世界の幸せの総量を少しでも増やすことができる三つ目の道を取るのがいいのではないかと思っています。虚無に陥りながら「つらさ」を減らすより、今より少しだけでも世界の「幸せ」を増やしたほうが、どうせ生きていくなら、精神的にもいいんじゃないですかね。
その方が生きやすいと思いますよ。