福岡市博物館 ポンペイ展に行ってきた

感想・レビュー

福岡市博物館でやっていたポンペイ展。気がつくと今週末までだったので行ってきた。

ウリとしては、歴史としてのポンペイ展ではなく、美術の観点からみたポンペイ展ってことらしい。内容的には、建築と風景、日常の生活、神話、神々と信仰の4つのセクションに分けて、壁画だったりが展示されている。逆に壁画がメインで発掘された遺物的なものの展示はほとんどなし、壁画を描くための道具なんかは展示されていた。

壁画はきれいな化粧箱というか額縁?に入っている小奇麗なものから見上げるようなものまで、ローマの皇帝を称えるための施設に飾られていたほかと比べても段違いのクオリティのものから、選挙PR文が書かれたものまで多種多様。っていうか、選挙PRが書かれていたやつ、訳文と書かれている文字数が全く一致していない気がしたんだけど、あれは何だったんだろう。

また、神様界隈ではワインを作っていたところが多かったのかデュオニソスが超人気。出てきた神様のうち、半分くらいはデュオニソスじゃなかろうか。あとはウェヌス。

というか、デュオニソス絡みでお妃のアリアドネも出てくるんだけど、あれ?と。俺の知ってる感じだと、クレタ島の迷宮でやんちゃしていたミノタウロスの妹で、テセウスと恋に落ちて色々あってミノタウロスをやっつけてめでたしめでたし。なイメージだったんだけど、今回採用されている説では、どうもめでたしめでたしの後、アリアドネはテセウスにどっかの島に置いてけぼりされたらしく、嘆き悲しんでたところをデュオニソスが見初めて結婚するとかいう話になってたっぽい。なるほど、ひどい話ですね。

一応、帰ってからWikipedia先生を参照すると、そういうパターンがあるっぽい。もう片方の説では、むしろデュオニソスがアリアドネを掻っ攫った感じなんだけど、Wikipediaのデュオニソスとテセウスの記事を鵜呑みにすると、やんちゃをしそうなのはテセウス先生の方じゃないかという気もする。っていうか、デュオニソス先生は意外と苦労人っぽい。

クレータよりの脱出後

クレータより脱出後、プセウド・アポロドーロスは、二人は子供もつれてナクソス島へと至ったと記すが、これ以降のアリアドネーの運命については諸説がある。プセウド・アポロドーロスは、ナクソス島でディオニューソスが彼女に恋し、奪ってレームノス島へと連れて行きそこでアリアドネーと交わり子をなしたとする。この交わりによって、トアース、スタピュオス、オイノピオーン、ペパレートスが生まれたとされる(オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロスの三人ともいわれる)。
しかし別の説では、アリアドネーはナクソス島に至りひどい悪阻であったため、彼女が眠っているあいだにテーセウスに置き去りにされたともされる。或いはこの後、ディオニューソスが彼女を妃としたともされる。

また、ホメーロスの『オデュッセイア』においては(巻11、324-5)、一行がディアー島に至ったとき、ディオニューソスの了承のもと、アリアドネーはアルテミスに射られて死んだとされる。呉茂一はこちらが本来の神話であったろうとしている。

アリアドネー – Wikipedia

と、壁画そのものよりも、その周辺情報に興味を惹かれた特別展示でした。

壁画自体で言えば、壁画は作られた時期によって4期に分けられるようなんだけど、そのうちの2期辺りで遠近法を使って壁の向こうにあたかも風景が続いているような、だまし絵的な壁画が多いらしい。見てるとほんとに壁の向こうに景色があるような物が多くて、やっぱり石造りの建物の中だと息が詰まるんかなぁとかどうでもいいようなことを思ったりもした。画像はないけど「赤い建築を描いた壁面装飾」っていう三面になっている壁画とか、真ん中に立ってみるとほんとにちゃんと書かれてて、すげーなとおもう。(ポンペイの壁画の様式 – Wikipedia)

そういえば展示内では写真撮影可でみんな写真撮ってたな。あんまり写真を撮る習慣がないのであれだけど、やっぱりフォトジェニック感は大切なのかもしれない。見よ、この日記の真っ白なこと。

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