そうだ車輪と名づけよう

怖い話を聞いた。内面世界の捉え方

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考えごと

オカルトな話を聞くポッドキャストがあって、それを聞いているんだけど、そこに投稿された話に、なかなかに怖い話があったので備忘までに残しておく。思い出しながら書くので、大筋くらい。

以下、投稿内容のあらすじ

投稿者の親父さんが亡くなった。親父さんは、あまり褒められたような人でなかったらしく、投稿者も悲しいとか思うより、ある種清々したみたいな感じだったらしい。とは言っても、葬儀の喪主は投稿者なので準備で忙しかった。

葬儀では、最後喪主の挨拶があって、話すこともないなっと思ってたけど、葬儀会社の人が台本を用意してくれて、挨拶ではそれを読むことでなんとか凌げそうだった。

投稿者が挨拶して台本を淡々と読んでいたところ、投稿者は体がだんだん重くなったような感じがして、悲しくもないのに涙が止まらなくなった。でも、話を中断するわけにもいかず、かすれるような声でなんとか話し終えることができた。

葬儀の後、兄弟がやってきて「最後の挨拶の時、なんか様子がおかしかったよね。こっちはそれを見て笑いをこらえるのに必死だったよ」と言われた。

あの涙は、父の悔し涙だったんだろうか。あれはきっと親父の霊が自分の体に乗り移って、親父の未練を伝えたかったんだろう。

いや、情操教育よ…

こんな感じの内容の投稿にパーソナリティが、お父さんも投稿者になにか伝えたかったんじゃないかとか、虫の知らせがあれこれとか色々言ってたんだけどさ。

そもそも、投稿者がこれを怖い話として投稿するのも怖いし、投稿者の兄弟も怖いし、番組で放送することに決めた制作陣も怖いし、それにコメントするパーソナリティも怖い。関係者全員が怖い感じがする。これがきっと人怖ってやつなんですね。

いや、なんというか、こういう感受性の人、世の中を渡るのにいらぬ苦労ばっかりしてそう。

とは言いつつ

この投稿が作家の書いた創作の可能性もあるのは置いておいて、もし投稿者本人の実体験だとする。そうなると、こういう話に無頓着過ぎて心が死んでたり、あまり直視したくない心の動きがあって、自分の体の反応を理性が拒絶してるってこともあるのかな。

もちろん、当人の内心を最優先事項とする世界の傾向があるのは、理解しています。

オカルト話の傾向の一つ

本当に思いつきではあるけど、よく言われる怖い話の傾向の中には、こういう他責思考のものがあるような気がする。本来は自分(意識するにせよ、しないにせよ)が起因のはずなんだけど、それを他責にしてることを意識せずに不可思議な現象、幽霊なんかのよくわからないものへ理由を求める感じ。

いい加減、眠りや意識の混濁が挟まった怖い話は食傷気味なんだけど、もう一つパターンが見えてきたような気がする。

余談。ChatGPTにはこの話が伝わらなかった

この記事を書いて、自分が言いたいことがわかりますか?と問うたところ、微妙に頓珍漢な回答が返ってきたので、ChatGPTにちゃんと説明してあげた。

ChatGPTに説明した内容

私が言いたかったのは、ちょっと違いますね。大筋は合っていますが。

この投稿者は父親のことをあまり快く思っていません。もちろん兄弟も。なので、葬儀も仕方なく淡々と進めていますが、最後の最後、不意に涙がこぼれてしまい、挨拶文を読み上げるのにも困難な状態になってしまいます。

ここで、よくある感受性、共感性に依った話であれば、「あんな親父だったけど、自分の中にも少しくらいは悼む心があったのかな」と思うのかなと思いますが、この投稿者はそこには思い至らず「父親の無念の感情が自分に乗り移ったのだ」という怖い話の文脈で、この感情を処理しようとしています。私は、この心の動きが怖いですし、その心の動きに違和感を持たずにいる、この放送、この話に関わった人たちこそが、「怖い話」なんじゃないかと思いました